江戸しぐさにもある発達段階・・・
江戸しぐさの知恵
江戸しぐさに、
「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理(ことわり)で
末決まる」という言葉があります。
この時代の段階的教育法を言ったものです。
人の成長段階に応じてそれ相応の育て方が重要であると説いたものになります。
このころの人は、人間の体は、脳と身体と心の三つからなっていると考えました。
数え年三つまでに、人間の心の糸をしっかりと張らせるようにしないと、糸が固くなってしまうと考えていたようです。一日一本換算で、三年で約1000本となるように心がけたのです。
六歳ごろになると、講師の目を身につけることを躾けた。
自立心を養うために一方的に教えたりはしなかったようです。
自発心をつけるために、教育ではなく、「養育」「鍛育」という考え方で育てていました。
九つまでには、どのような方に対しても、失礼に当たらない挨拶ができるようにすることが親の務めでした。
挨拶といっても、単純におはよう、こんにちは、程度ではないのです。
世辞の入った大人としての挨拶です。
世辞といっても今でつかう「お世辞」とは程遠いものです。
ここでは、きちんとした言葉遣いのできる大人の挨拶のことを言います。
今どきの大人でも、きちんとできるのでしょうか?
十二歳になると、なんと主の代理で代書が書けるようになるという話です。
注文書はもとより、苦情処理の弁解書なども書けるように、それこそ「鍛育」していたそうです。
十五はさらにすごい。
経済、物理、化学、などの森羅万象が、理屈ではなく、暗記ではなく、実感として理解できるように心がけていたのです。
寺子屋では、
それぞれの子供の個性を見抜き、適材適所を心得て、子供の将来にふさわしい道を示唆するのが、
寺子屋の師匠の役割であったようです。
現在とは格段の差があるようですね。
今の教育は、50年ほど前からの指摘で、
「恐育」とか「狂育」と言われている方もいます。
また知育が「痴育」。体育が「怠育」。徳育が「得育」になっている部分もあります。
親も、シックスポケット(一人の子供にその両親と、それぞれの祖父母)で甘やかし傾向が強い。
核家族が進み、家族もバラバラ感が増してきています。
もう一度先人の知恵を見直し、考えるべきことも多いようです
改めて、発達段階と教育、見直していきたいものですね。