インドの人生論について
今回は、インドに目を向けてみましょう。
インドのヒンズーには、「四住期」という考えた方があります。
最初は、「学生期」。師(グル)に対する絶対的な服従と忠誠が要請されます。
ひたすら耳を傾け、心を込めて学ぶ。厳格な禁欲を守る。異性との接触は禁止です。
次には、「家住期」。親の選択に従い妻帯し、職業について生計を営みます。
息子を生むことが重要で、祖先に対する繋がりが途絶えないようにしていきます。
そして、「林住期」。課長は結婚生活によって得た多くのもの、財産や家族などすべて捨て、社会的義務を捨て、人里離れたところで暮らす。
それは、名づけることのできない本質へ到達しようとする努力であり、真の自己を求める道に入るためです。
完全な世俗的生活との断絶ではなく、時々は家庭に戻り家族との絆は保つということになっています。
最後は、「隠遁期」。
人はこの世への執着を捨て去り、家もなく財産もなく、乞食となって巡礼して歩きます。
いかなる土地とも、いかなる仕事とも結びつかず、家のない放浪者は、永遠の自己との同一化に生き、そのほかの何者にも関心を持たない生活をします。
上記のような、4つに人生を考えています。
東洋では、人間を一生を通じて、成長、成熟していく存在であるという価値観が流れています。
かつて、五木寛之氏も、上記の中の「林住期」を取り上げ、著作を書いておられますね。
ただ、現実には、中々厳しすぎて受け入れずらいものがあります。
人生の発達に関して、日本でも「守破離」という言葉もよく使われています。
千利休の「規矩作法守り尽くして破るとも離るるとも本を忘るるな」からきているとされています。武道や芸道の道としてよく紹介されますね。
最初は、まず師匠から教わった「型」をてって的に守るところから修業が始まります。
その上で、自分に合うものを見出し、以前の型を「破」って次へと進む。
鍛錬の末、熟達が増すと、その型さえも意識から外れ、「離」の境地へ行きつく。
ただそうなったとしても、基本の根っこはきちんと押さえておきなさいという教えです。
まさに初心忘るるべからず。
言葉では簡単ですし、よく耳にもしますが、これもまた身につけて実践となると中々です。
あきらめず、こつこつとその時々の年齢や状況に応じて、日々精進しなさいということでしょうか。