心技体にこだわる理由
長男の重度の知的障がいを機に、独立したのは1997年の9月だった
グリコの営業マンを経て、富山へ転職後は経営コンサルタントとして独立する予定でいた
ただこちらで結婚後、初めての子供が重度の知的障がいだった
その当時は、その重大さもわからず、何とかなるだろうぐらいの軽い気持ちでいた
それまでは、経営学をベースにマネジメントの領域の知識しかなく
事の重大さにあまりに無頓着だった
ところが、子どもの成長につれ自分の無知さ加減に打ちのめされた
そこから、全くご縁のなかった心理学や医学的な領域の学びを本格的に始めた
何とか、子供ために知識を得ようと有名な方々を尋ねたりしていた
しかしながら、近代医学をベースとした常識の範囲の中では、
現場では全く役に立たないものが、如何に多いかという現実に大きな衝撃を受けた
その後は、学会の枠組みにとらわれず、様々な領域のセミナーや学びに没頭した
東洋医学の知恵、様々な民間療法などを学び続けるうちに、
本日のテーマ「心技体」という文言の大切さと重要さにはたと気づいた
思えば、中学から続けている「剣道」においても、
日々「心技体」とお付き合いしていたのだった。
「剣は心なり。心正からざれば、剣また正しからず」
脳は確かに司令塔ではある。
ただ、脳だけですべてをコントロールしている訳でもない
例えば、有名なセロトニンというホルモンは、95%が腸で作り出されている
愛情豊かな感性を育むオキシトシンというホルモンは、
肌の触れ合いで増幅されることが分かっている
最近は様々な感覚の伝達技術も開発されてきている
しかし、個人的にはオンライン技術がどんなに向上しても
こういう領域のカバーまでは、無理だろうと信じたい
また、もしそうなったら非常に怖いとも思う
脳には、様々な盲点や勘違いなどがあることもわかっている
アミグダラ(偏桃体)が機能しなくなると、身体や感情のバランスを崩すことにもなる
ホルモンバランスの崩れは、緊張や不眠などを引き起こし
うつなどの精神疾患も誘発しやすい
剣道でいえば、試合であまりに勝とうという意識が強すぎると、
力みが入り勝てる相手にも負けることもある
また、相手を甘く見て油断しすぎていても同じことが起こる
達人になると「無」の境地に達するが、それはやはり「心技体」の一体感がないと達成できない
理屈とかテクニックだけでは、解決できないことも多いのがはっきりと分かる
世の中には、無数のノウハウ本やテクニックを売り物にするものが多い
表面的に対処できる範囲のものはそれでもよいだろう
ただ、こと「人間」に関わる領域、特に「教育」とか「道」になるとやはりそれだけでは無理だ。
「知育」「徳育」「体育」の3本柱は、教育基本法の骨子でもある
しかし、現実は「痴育」「得育」「怠育」になっていると
嘆いた教育者が,日本においてもすでに半世紀以上前におられる
私自身齢65歳を超え、今までやってきたことの再整理の時代へと入った
うわべだけのことではなく、
培ってきた中で見つけた「智慧」を少しでも残していければと考えている
非常に拙いものではあるが、
自分なりの「心技体」を、残りの人生で見直し続けたいと思っている