先人の言葉に学ぶ
良寛さま
新潟県の南の端の方に出雲崎というところがあります。良寛和尚の生まれ故郷です。
良寛さんは戒律の厳しい禅宗の僧侶でありながら、般若湯(お酒)を愛し、
良寛を慕う人たちとよく飲み交わしたそうです。
良寛さんの有名な言葉に、「災難に遭う時には、災難に遭うがよく候」
というものがあります。
まさに、現在新型コロナという局面に立ち会っている今としても、何かしら響くものもあります。
私が小さいころ、何か悪さをすると、良く年長者から「お天とう様が見ているぞ!」
と叱られたことを思い出します。
これだけの大きな試練があるという事は、何かしら人類がお天とう様に顔向けできないような事をしていたかもしれないと思える部分もありそうです。
大きなダメージを受けていることも多々あります。私も3月以来、全く何もすることができず、じっと家で耐えながら、色々と考えさせられているところです。
一方で、世界各国で新たな動きや様々な工夫も進んできました。
テレワークやソーシャルディスタンスなど、
新たな生活様式に一気に変化が進んできています。
良寛さんに戻ると、こういう歌も詠んでおられます。
「盗人に 取り残されし 秋の月」と。
何もない庵に空き巣が来た際、良寛さんは自分の敷いていたせんべい布団を盗人に渡します。
そのあとで詠んだ歌です。
泥棒は、なけなしの布団は持って行ったが、
あのきれいなお月さまをめでる自分の心までは取らなかったぞ、という意図の歌のようです。
今回の事でも、世界的に大きな経済ダメージを与え続けています。
まだまだ先の見えない不安の続き中で、倒産や自殺もこれからどんどん増えてくるかもしれません。
しかし、我々は、ここで大事なものを学び取らなければいけないという事でしょう。
大きな災害の中で、人と人とが寄り添えない状況は、通常の災害とは一線を画するものですね。
IT進化のおかげで、テレワークやテレビ通話などで、コミュニケーションは取れます。
ただ、人と人とのつながりは、やはりそれだけでは何ともしがたいことも皆感じているところでしょう。
今回のことで、人を思う大事な心持ちや、肌触れ合える幸せなどを改めて実感しています。
なるべく早くコロナ喧騒が終息し、オフラインでにぎやかな会話ができる日を心待ちにしたいと思います。
今の、この一瞬一瞬を大事にしながら・・・