孔子の人生論

八尾です 
八尾です 
皆さん こんにちは


我十有五にして学を志す。と聞けば、懐かしい感じがしませんか?
昔、漢文の授業では必ず習っていたかと思います。

彼が生まれてからすでに、2500年も経っていますが、論語に書かれていることは、多くの方々の心に今も輝いているのではないでしょうか?

習ったかも?
Bさん
Bさん


発達の概念にからめると、冒頭の言葉から始まる人生論が有名ですね。
30にして立つ。30歳の別称は、「立志」。でも、中々そういう30歳は少ないかも・・・。

40にして惑わず。40歳は、「不惑」。悲しいかな、ビジネスの世界では、自殺しているのは、中高年の男性が多いのが現実。いい大人が、みな戸惑っているようですね。

Aさん
Aさん
そうですね


50にして天命を知る。別称は、「知命」といいます。信長の時代は、ここで寿命でしたが、今や人生半分。後の人生の、見極めしている人、どのくらい居るのでしょうか?

60歳は、耳順う(したがう)。「耳順(じじゅん)」と言います。
政界のトップや国会銀様方の答弁見ていても、これに倣っているとはとても言い難い状況は、とても悲しい気もします。

70歳は、心の欲するところに従いて、矩(のり)を超えず。とあります。
いわゆる、年配者になれば、それ相応の風格と人格を身につけなさいと読み取れます。

こういう考え方が、今から2000年以上も前に、発想されていたことに驚きを感じます。
自分自身、60歳を超え、いろいろと人生を考えるようにもなりました。

人様に偉そうに、キャリアプランなどのお話をしながら、自問自答することも多いです。
親父の時代には、60歳というと、赤いちゃんちゃんこのおじいさんのイメージでした。

ただ、現在では定年も70過ぎまでに移行されようとしています。
後期高齢者といっても、若者に引けを取らない活気にあふれた方も数多くおられます。

あの世阿弥が書いた、「風姿花伝」の言葉に、時分の花というものがあります。
その年、時々に応じた自分の花の咲かせ方が重要だということでしょう。

人生100年時代になりました。ただただおいて朽ちていくことは悲しいです。
私も、植物人間にだけはなりたくないと思っています。

死ぬときは、毎日の眠りにつくように、静かに安らかに逝きたいと思っています。
そのためにも、今、このひと時を有意義に過ごしたいものですね。

中々、天命を知るという境地には達せないかもしれません。
ただ生を受けた以上、何かしらの存在意義を残したいものです。

死ぬ瞬間まで、元気、はつらつで、生き切りたいですね。

八尾です 
八尾です 
死ぬまで生きる!