新しい年の始まり・・・
1.旧暦の新年度の始まり
旧暦では、節分が年の分かれ目ですね
ただ、この2年、コロナコロナであっという間?
あの頃には、こう長引くとはだれも思っていなかったのでは・・・。
弊社も、大打撃を受けている職種の一つだと思われます
一方、同業者でも、コロナ特需で猛烈に業績を伸ばしている所もあります
また、コロナであっという間に業態を変え、見事に成功されているところも・・・
ただ、いくら表面的には変動しても、根源的な動きまで変わったわけではありません
時流に流されて、表面的に変わるとすれば、それはいち早い衰退も待っているはずです
そうかといって、手をこまねいているばかりでも、埒は開かないでしょう
もう、丸二年、私自身も、あれこれ戸惑い、寄り道、迷い道の日々が続いていました
ただ、その中で徐々に、少しずつ光が見え始めても来ました
根っこにある「大事なもの」を継続しつつ、新たな取り組みを始めようとしています
そもそも、2022年、そういう大転換の年でもあるようですね
自然災害でさえ、事前にある程度の備えは出来ます。
しかしながら、本当に備えているかというと、残念ながら、どうもまだ不十分です
今年の7月で、齢65歳、前期高齢者となります
今後のことも踏まえ、色々と準備、変換していかないといけないと気づかされてます
恒例ですが、1月2日に今年の目標は、目に見えるところに飾り、毎日目に入れています
地道に、自分なりに、出来る限り、前向きに前進していくつもりです
仮にも、人様に偉そうに、人生設計や自己変革なんぞをお話ししている手前
自分がめげている暇はありませんね。
また、そういうつもりもありませんが・・・。
コロナは、死滅はしません。
他の病と同じく、共存共栄で、うまくやり過ごしたいものです
新年度も、引き続きよろしくお願い申し上げます
2.次回坂龍塾について
次回は、九回目 2月15日(火)19時半~21時です。
テーマは、ここ2回の易学的な内容も踏まえ、人間関係などをベースに
今後の生き方などを、ご縁と成果の側面から、お話し出来ればと考えています
会費等、詳細は過去のこのブログをご参照くださいませ。
思えば、人生を振り返っても、あの時、あの方に出会わなければ・・・
という瞬間は、だれしも持ち合わせているのではないでしょうか?
少しずれますが、本屋で立ち読みしていても、潜在意識があると
パッと目の前に、読みたい本が見つかったりすることってありませんか?
偶然は、必然という方もおられます
また、以前「百匹目の猿」という本が有名になったこともあります
ある離島で、子ザルがリンゴを海で洗って食べていたら、仲間の猿が真似をしだす
百匹ぐらいに広がると、そこから遠く晴れた離島でも、同じ現象が起こったという話
不思議な感じがします
自分自身も、ある人から電話がかかってきたら・・・と考えていた瞬間に、
まさにその方からの電話のベルが鳴ったという経験もあります・・・
何かしらの転機の際、人は根源的に真剣に何かを考えていると
不思議なことに、そういう人にあったり、そういう事態に遭遇したりするのではないか・・・
一期一会にも、その背景には、因果応報的なものがあるのかも・・・と思ってきました
でもでも、人生を振り返ると、そういうことに何度も遭遇している気がします
今回の、坂龍塾でも、そんなことに触れながら、今後の自分の生きざま
をどのように考えていくのかを、考えてみたいと思います
やはり、目指すべき方向性、朧気でも何かしらのイメージ
自分自身の信条や指針的なものを、常日頃から心身に刻み込んでおくことが
本当に大事だろうなと、最近真剣に思っています
また、自分の人生をささえてくれた「恩師」的な存在も忘れられません。
若いころから、こういう「恩師」的な方に出会うという大切さを学ぶべきではと思っています
また、50歳以上の妙齢になってからでさえ、そういう方は必要に思えます
写真は、学習心理学の、バンデューラ先生
日本では、「先生」は偉い人のように聞こえますが、字ずら通り「先に生まれた人」です
中国では、「老師」がいわゆる日本の先生に当たります
「老」という字は、日本では老けるとか、老いぼれ的なイメージですが逆ですね
自分自身も、老いさらばえていくのではなく、
年輪を重ねて華麗(加齢ではなく)に、生きたいものですね
かつてはやった「老人力」では、「いよいよ、老人力がついてきた」と胸を張れと・・・
3.個人的ご縁の振り返り
コロナ禍で、農福連携のチームの方々と知り合いました
その中心人物は、北海道大学の方でした
たまたま、間を取り持ってくれたのは、同じ北大で
小樽商大応援団の際に、同期(北大応援団、恵迪寮生)だった方でした
彼とは、高校時代剣道の経験者、同じ関西出身ということで同期でも、印象に残っていました
その彼とは、卒業以来疎遠でしたが、少し前北海道のTVで、北大と商大の応援団OBが
道内で活躍しているという特集があり、そこに彼が登場していたのです
その後彼とは、交流が再開し、何度か飲む機会もありました
その後、世の中で「農福連携」が注目されていたころ、彼の会社でも
その方面の取り組みをしていたことからの、繋がりだったようです
まあ、一般の方々には、当時の寮生同士のお付き合いの説明は
非常に難しいものがあるのですが、まあかなり「ハード」(非常に濃い~い)なものです
そんなこんなで、その後、オン・オフ合わせて、全国各地に新たなつながりが急速にできました
思えば、不思議なご縁・・・、それも一気に広がりました
そのうち、4年間過ごした「小樽」に行くにつれ、非常に寂しい想いを抱いておりました
かつて隆盛を誇ったあの「小樽」は生き絶え絶えなのです
知名度も抜群、歴史も文化も、申し分はない
でも、なぜが急速に過疎化が進み、
我が母校「小樽商大生」ですら
小樽に住んでいる学生は、非常に少ないという実情・・・
個人的には大好きで、多分内地出身のOB卒業生で、卒業後
一番小樽を訪れているのではないかと、自負している
今までも、地元の方々と熱く語り合い、交流してきました
ただ、我慢できなくなり、この4月から小樽発で、
「地域復興旗振人 創成塾」第一期講座を,小樽発で立ち上げる
クラウドファンディングに挑戦することにした
今までも、ほぼ毎月北海道には、来ているが4月以降は
小樽にも入りびたりとなりそうです
初めて小樽に降り立った日からすでに43年
真冬に寮長室の窓を開けて、粉雪見ながら飲んでい居た頃が懐かしい
せめて、生きているうちに、大好きな小樽のために、汗をかこうと決めました
小樽発で、全国各地の人口減少で悩んでいる地域をつなぎたい
地域を活性化しようと頑張っている人を、応援したい
そんな気持ちがこみ上げてきたのだ・・・
4.人生の設計図の描き方
大學二年生の時、司馬遼太郎さんの本を読み漁りました
その中でも、特に「龍馬がゆく」にはまったのです
20歳になった年に、「坂龍飛騰(ばんりゅう)」という言葉に出会い
その衝撃から、「座右の銘」と決めました
その後、独立した際、自分の学びを復習、発信する会「坂龍塾」を立ち上げました
その後、全国各地でやりまくつた
自分の母親は、中学三年生の12月、受験前の年末に亡くなり
父親は、就職したその年の夏に、52歳で急逝しました
駆け付けた時には、まだ髪の毛が温かったのを覚えています
何せ二日前に、一緒に神戸港で釣りをしていたのですから・・・
2人とも突然で、涙も出なかった記憶しかありません
その後、25歳の時に、妹が結婚。天涯孤独となりました
転職後、富山に来てからも波瀾万丈
なんと、初めての子供が、重度の知的障がい児だったのです
草汰、20歳の時の写真
心理学や、障がいのことを山ほど勉強しました
しかし、学術の世界には的確なアドバイスをしてくれる人はいなくてショックを受けました
そして、独立。暗闇からのスタート、必死さだけがエネルギー源だったと思います
でも、そのころ心に留まっている方々は、今でも尊敬している方々が多い
やはり現場で、実践を積んでいる人の言葉は重い
そこから、今まで牛歩の歩みだが、何とか生きてきました
今後は、自分の経験を、少しでも若い世代に残したい思いが強くなってきました
自分自身の知恵は知れているが、経験してきたことは数多い
そうしたことを、語り部としてやっていく価値はあると思っている
人の語源は、人と人が寄り添うことではない
天(セオーリア=理論の語源)に向かって立ち上がるという字なのです
その中で、必要なのが人と人が寄り添う事
それは、「仁」、人が二人=いつくしむ という字 です
心底から、相手のことを思い、尽くすこと
最高の愛=アガペーとも、相通じていると思う
今後は、そういう気持ちで、人生を楽しめたらよいかな~と思う
夢は、あしたのジョーの様に、「真っ白になって死ぬ」
日野原先生の様に、死ぬ瞬間まで「生き切る」
(言い方が、もう、昭和だな 笑)